四季の魅力を堪能する
二十四節気とは季節を知る目安とされたものです、そして今でも年中行事や時候の挨拶などで使われています。そんな二十四節気がなぜ必要であったのか、その意味について。また旧暦において閏月を挿入する基準ともなってたことなど、旧暦の基礎知識も合わせまとめてみました。


【1】暦の上では春ですが

1-1.「立春」を迎えると季節は春!

「暦の上では立春、もう春ですが」こんな言葉をよく耳にしませんか、この場合の暦とは旧暦のことです。旧暦においては「立春」を迎えると季節は春です、そして立春とは「二十四節気(にじゅうしせっき)」の一つです。





二十四節気とは季節を知る目安とされたものです。1年の長さを24等分して、それぞれに季節を表す名前がつけられたもの。冬至や夏至、大寒や立秋など今でも年中行事や時候の挨拶など私たちの生活に結びついています。

1-2.まだまだ厳しい寒さの毎日です

しかし春の始まりとされる「立春」ですが、今私たちが使っているカレンダー(新暦)においては2月の4日頃にあたります。春とはいっても、まさに冬の真っただ中ですね。だから普通「まだまだ厳しい寒さの毎日です」と続くわけです。

1-3.ひと月ほどズレていますが

ちなみに二十四節気において春夏秋冬それぞれの始まりは

  • 立春(新暦で2月4日頃から)
  • 立夏(新暦で5月6日頃から)
  • 立秋(新暦で8月8日頃から)
  • 立冬(新暦で11月8日頃から)

となっています。

立秋を過ぎたら暑中見舞いから「残暑見舞い」ですね、でもまだ夏の盛りです。どの季節の始まりも、実際の季節の変わり目からひと月ほどズレています、なぜでしょう。

1-4.閏月の決め方にも関わっていました

またそもそもなぜ二十四節気が必要であったのでしょうか。さらに閏月(閏年ではありません)の決め方にも二十四節気は基準となっていました。こういったところをテーマにすすめてみます。

1-4.二十四節気を理解する前に

今私たちが使っているカレンダーは太陽暦(グレゴリオ暦)です。これは地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)をもとしたものであり、原則1年を365日として4年に一度閏年を取り入れるもの、世界においても共通の暦となっています。


この太陽暦は明治6年(1873年)より導入されたものです。それまで使用されていた伝統的な暦が天保暦、これが「旧暦」といわれるものです。ちなみに改暦となった明治6年1月1日は、それまで使用されていた天保暦では明治5年12月3日に当たります。


つまり12月2日の翌日を1月1日としたのです。この明治5年の12月は1日と2日の2日間しかなかった話は有名ですね。二十四節気を理解するために、まずこの旧暦のしくみついて知っておきましょう。




【2】旧暦のしくみについて

2-1.旧暦とは「太陰太陽暦」のことです

旧暦とは「太陰太陽暦」のことです。太陰太陽暦とは大ざっぱに言えば、月日は月(太陰)の運行(満ち欠けから)決め、季節は太陽をもとに決められていたものです。





月は約29.5日かけ地球の回りを一回りします。この間、月の姿は新月(見えない)から三日月・上弦と徐々に満ちて行き15日目に満月となります。そして今度は欠けて行き新月にもどります。これが月の満ち欠けであり「朔望」とも言われています。


ちなみに月は自ら光っているのではなく、太陽の光を反射して輝いています。そして月の姿(輝き)は太陽との位置関係で決まります。太陽の光に照らされないところは影となって見えません、だから地球から見ると月が満ち欠かけしているように見えるわけです。

2-2.大の月と小の月

この月の満ち欠けのサイクルは約29.5日です。旧暦においてはこの周期を基準に一カ月を30日の月(大の月)と29日の月(小の月)として、これをほぼ交互に繰り返し12カ月で1年としていたのです。したがって1年は約354日となっていました。

2-3.閏月、放置すればズレる季節と暦

しかし地球は太陽の周りを約365日で一周しています。すると毎年約11日ほどの差が発生します。これを放置すれば季節と暦はどんどんズレてしまいます。そこでこれを調整するため設けられていたのが「閏月」です。


閏月とは約3年に一度13番目の月を設け、一年を13ヵ月として季節との誤差を調整していたのです。したがって約3年に一度、一年を約384日としていたわけです。ずいぶん強引なやり方にも見えますね。


そして二十四節気は、この閏月を設ける基準ともなっていました。

2-4.一年の長さが一定ではありませんでした

旧暦は遠い昔中国から伝えられ、その後日本の風土や気候に合わせ独自の改良を加えながら、1500年近くにわたり使用されてきたものです。ちなみにこの太陰太陽暦は古代中国やバビロニアなどでも使われていたそうですが、なにせ一年の長さが一定でないこともあり今では使用されてはいません



【3】二十四節気が作られた理由

3-1.季節を知るための目安が必要でした

そもそもなぜ暦が必要であったのか、その一つは私たちの祖先にとって「時期」を知ることは生きるためにも不可欠なことであったからです。暦は狩猟生活から農耕生活に移る過程において、季節による気候の移り変わりに対し食物を計画的に生産し収穫・貯蔵するという必要性から誕生したのです。





しかし旧暦においては前述のとおり一年の長さが一定でなく、季節とのズレが一年で約11日も発生してしまいます。これでは農業に携わる人たちにとって、収穫や種まきなどの正確な時期を知ることが出来ず大変不便なものであったのです。


そこで暦とは別に季節を知るための目安として作られたのがこの二十四節気だったのです。

3-2.季節感にズレがある理由

日本には古代中国より飛鳥時代に暦とともに伝わったものであり、季節感は当時の文明の中心であった黄河の中・下流域の気候を反映してます。日本の気候や農作業のスケジュールとの間にズレがはあるのはこのためです。



【4】二十四節気の分け方

4-1.まず「二至二分四立」から

二十四節気とは地球が太陽のまわりを回る動きに合わせ、一年の長さを24等分したものです。その分け方について見てみると・・・、

  • まず日照時間が最も短い冬至(とうじ)と最も長い夏至(げし)に分けます。
  • つぎに昼夜の時間が同じ長さになる春分(しゅんぶん)と秋分(しゅうぶん)に、これで四等分です。
  • さらに上記の間に立春・立夏・立秋・立冬を入れます。

これが「二至二分四立」です、8分割されましたね。さらにこの8つの期間を3つに分け1年の長さを24等分します。そしてそれぞれに天候や生き物の様子を表す雅な名前がつけられています。





この二十四節気を暦に記すことにより、季節を知ることが出来たわけです。ただしこの二十四節気においては「立春」を春のはじまりと定義されています。今でも年賀状には「新春」や「迎春」となっています。これも気候上の季節感と一カ月ほどのズレが生じる理由の一つです。

4-2.定気法と恒気法

季節を24に分ける方法は2種類あります、まずひとつが均等な日数で割り振るもの(恒気法)です。しかし地球の公転軌道は楕円ですね、また太陽の黄道上での運行速度も必ずしも一定ではなく実際の春分点や夏至などにズレが生じています。そこでもうひとつの方法が太陽の角度によって割り振るやり方(定気法)です


現在、ここ日本で作成されている旧暦においてはこの「定気法」が採用されています。簡単に言えば太陽が1年間かけて空を横切る道筋(黄道ですね)を、15度づつ24等分することによって二十四節気が決められています。

4-3.二至二分四立の日付けが毎年変わる理由

そのため必ずしもその日数の長さは等分ではありません。その年の二十四節気の日付けは国立天文台の観測結果をもとに決まります。二至二分四立の日付けが毎年変わるのはこのためです。



【5】二十四節気の読み方と意味

5-1.節と中について

二十四節気は、1年を春夏秋冬の4つの季節に分けられ、さらにそれぞれ

  • 節(せつ)または節気(せっき)
  • 中(ちゅう)または中気(ちゅうき)

が交互に並んでいます。そして「節」は季節を表し、「中」月名を決めます。またこれは前述の通り旧暦において閏月を設ける基準ともなっていました。ではこの二十四節気を季節別に一覧にまとめてみましょう。

5-2.二十四節気 春

二十四節気名新暦の日付説明
立春
りっしゅん
正月節2月4 日頃寒さも峠を越え、暦の上では春の始まり
雨水
うすい
正月中2月19日頃雪や氷が溶けて水になり、雪が雨に変わる
啓蟄
けいちつ
2月節3月6日頃冬ごもりしていた地中の虫もはい出てきます
春分
しゅんぶん
2月中3月21日頃昼夜がほぼ等しくなる、日も伸び始めます
清明
せいめい
3月節4月5日頃すべてが生き生きと、清らかに見える時期
穀雨
こくう
3月中4月21日頃穀物をうるおす春雨の時期

5-3.二十四節気 夏

二十四節気名新暦の日付説明
立夏
りっか
4月節5月6日頃夏の気配、夏の始まり
小満
しょうまん
4月中5月22日頃すべてのものが成長し実る時期
芒種
ぼうしゅ
5月節6月6日頃稲など(芒のある)穀物を植える時期
夏至
げし
5月中6月22日頃太陽が1年で最も高くのぼり、昼が最も長い日
小暑
しょうしょ
6月節7月8日頃梅雨明け、暑さも増してきます
大暑
たいしょ
6月中7月23日頃1年で最も暑さが極まる時期

5-4.二十四節気 秋

二十四節気名新暦の日付説明
立秋
りっしゅう
7月節8月8日頃秋の気配、秋の始まり
処暑
しょしょ
8月中8月24日頃暑さがおさまるころ
白露
はくろ
9月節9月8日頃草花に朝露が宿る時期
秋分
しゅうぶん
9月中9月24日頃秋の彼岸の中日、昼夜がほぼ同じ長さに
寒露
かんろ
10月節10月9日頃秋の深まり、野草にも冷たい露が
霜降
そうこう
10月中10月24日頃霜が降り始める時期

5-5.二十四節気 冬

二十四節気名新暦の日付説明
立冬
りっとう
10月節11月8日頃冬の気配が、冬の始まり
小雪
しょうせつ
10月中11月23日頃雨も雪になる、初雪が舞い始める時期
大雪
たいせつ
11月節12月8日頃雪がいよいよ降りつもってくる
冬至
とうじ
11月中12月22日頃昼が一年中で一番短くなる、最も夜が長くなる
小寒
しょうかん
12月節1月6日頃寒の入りで、寒気が増してきます
大寒
だいかん
12月中1月21日頃厳しい寒さの時期です



ご覧の通り節気のめぐりが毎年同じ時期であること、また間隔もそれぞれ一定です。さらに季節の移り変わりにも、半月ごとに対応しています。季節を知る目安となっていたこと、また農耕の準備に重宝していたこともわかりますね。



【6】二十四節気と閏月の決め方

6-1.中気を含まない月を閏月にするとは

旧暦においては暦と季節とのずれを約3年に一度、閏月を入れることにより調整していたのですが、単純に13月を挿入していたわけではありません。閏月は原則として「月の内に中気を含まない月」を閏月にすることになっていました。


たとえば恒気法(等間隔)による二十四節気では、中気と中気の間隔は約30日となります。しかし太陰暦における一カ月(月の満ち欠け)は約29日です。この長さが約1日弱違うため、ひと月(新月から新月)までの周期の間に1度も中気が現れないことが約3年に一度やってきます。


細かくてわかりづらいのですがこの表を見てください。





これは閏月が挿入された明治3年の例です。赤枠で囲った「閏10月」がこの年挿入された閏月です。中気のない月を閏月として、ひと月を挿入し調整していたのです。 単純に12月の後に「13月」を追加していたわけではありません。

6-2.「月の名前」が決まりません

また、閏月は中気のない月なので「月の名前」が決まりません、そこで「閏10月」のように、その直前の月の名前に「閏」とつけていたのです。このように約3年に1度は13ヶ月の年が現れ、この年は1年が384日前後となっていたのです。

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6-3.定気法では間隔が変ってしまいます

ただし、二十四節気を「定気法」によって決まる場合はどうでしょう。定気法では中気と中気の間隔が季節によって変ってしまいます。ひと月に2つの「中気」が入ることもあり中気によって月名が決めることもできません。


こうなると話はさらにややっこしくなるのですが、冬至は11月、春分は2月、夏至は5月、秋分は8月にするという条文を加えて、これに反しない範囲で適当な月に閏月を配置しているのです。分かったような分からないような話ですね。



【7】失いかけている季節感を取り戻す

7-1.四季の魅力を一足先に意識する

大ざっぱでしたがここでの話は以上です。二十四節気とは古代中国から伝わった季節区分法であり、毎月の日付と季節との間にに生じるズレを補うために用いられたものです。そして今でも年中行事や時候の挨拶などで使われています。





立春からはじまり大寒で締めくくられる一年。それぞれの区切りを意識するだけでも、私たちが失いかけている季節感を取り戻せるはずです。季節を表す雅な言葉と本来の意味、小さな季節の移り変わりを一足先に意識してみてはいかがでしょう。


太陽の季節を実感する、旬の食べ物や四季折々の自然をもっと身近に感じてみる。日本には美しい四季があり、私たちの歴史はその美しさを大切にしてきたのです。そして、だからこそ生まれてきた文化や風習があるのです。


慌ただしく過ぎ去る毎日ですが、たまには四季の魅力を堪能するのもいいものではないでしょうか。静かに季節の風を感じてみる、すると「運」だってきっとよくなるような気がしませんか。



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