失うことによって得られる幸せもある
【壁】29歳会社員、メグミさんより。母は私の目を見据えるや「あなたとはこれで他人だけど、私たちは信仰心を失うことはありませんから」と告げました。そこにはゆるがぬ信仰心、そして憎悪が込められていました。


1.信者どうしのみ許されるのです

アルバイト先で出会った彼と3年付き合い27歳の時ゴールインしました。こう書いてみると平凡ながら、それでも理想的な人生かもしれません。





でも、ここまでたどり着くのには涙の日々がありました。なぜなら、私は信仰を持つ親から生を受けたからでした。


私の母はある宗教の熱心な信者でした。宗教とはいっても「カルト」と称される類のものです。母は自分だけでなく家族全員にも信仰を強要しました。


そんな母は感情の起伏がとても激しく怖い人でもありました。でも私はこの母が好きでした。


もちろん私も信者として育てられました。遊び相手は同じ教団の子供だけ、集会にも参加させられました。信者以外の人間は敵視・蔑視せよと、必要以上の会話も禁止されていました。





教団組織の教えには絶対服従であり世間の常識など通用しません、そのおかげでどれだけ辛い思いをしてきたのか。一冊の本が書けるくらいです。


そして規律は恋愛や結婚にも及びます、おわかりの通り「信者どうしのみ許される」のです。

2.そんなとき現れたのが彼でした

いくら教養があり立派な家系の方でも、月に行けるほどのお金を持った方でも、その方が信者でなければ交際などご法度です。もしこれに背いたら「追放」が待っています、これが私の前に立ちはばかった壁でした。


即追放?追放だけならいいじゃん、サッサと自由になれば。そう思いますか、でも追放が決まれば信者からの「無視」が待っているのです。


実際に追放された人も見てきました。挨拶もダメ近寄ってもダメ、口をきいてはいけないのです。なによりもそれが、たとえ家族であってもです。今まで一緒に暮らしてきた親兄弟からも一生無視されるのです。


こんな辛いことがありますか。でも信者にとっては何の矛盾も疑いもないのです。





でも私は不思議なことに洗脳されなかったのです。中学生になると自由な暮らしをしている方を見るたびに、羨ましくてしょうがなかったのです。


しかし私はひとりで生きていく自信などなかったし、何よりも家族のことが好きでした。そんなとき現れたのが彼でした、私の夫です。

3.まだ好きかどうかわからない

彼と知り合ったのは19歳の時、同じアルバイト先でのことでした。それから5年ほど一緒に仕事をしたのです。ずっと友達でいたのですが、23歳になったころから彼に異性としての魅力を感じるようになりました。





もちろん信者であった私だから、一般男性とのお付き合いなど許されません。でもそのころは一人暮らしだったこともあり、私たちはこっそりとバレずに会っていたのです。でも私の秘密、カルト宗教の信者であることは彼には伏せていました。


そしてついに彼から告白される日がきたのです。でも家族のことが頭をよぎると、私には覚悟ができなかったのです。「まだ、好きかどうかわからない」それが私にできた精一杯の返事でした。


彼は少しがっかりした様子でした、でも笑いながら「もう俺の気持ちはバレたからさ、これからは何度も堂々とアタックするからね!」とやさしく言ってくれたのです。


フラれるんじゃないかと思った私だったので、本当に嬉しかった。涙がとまりませんでした。私には彼しかいない、それからも交際は続きました、

4.先延ばしには出来ません

デートを重ねるほどに思いはつのりました。でも家族とは離れる決心はどうしてもできない、板挟みでした。彼に言い寄られるたびに、私はただ泣くばかり、それでも本当の理由は言えませんでした。





彼も私には薄々何か事情があることは気づいていたようです、でも深入りはしませんでした。そんな思いやりのある彼なのです。しかし告白されてからもう一年が経ちます、これ以上結論を先延ばしには出来ません。


私にはひとりだけ親友がいました。幼なじみ、同い年の一般女性です。彼女は私が信者であることも知っていました。もちろん彼女との親交も教団には内緒でした。私は彼女にすべてを相談してみたのです。

5.私から彼に告白をしたのです

「選ぶならどっちがいいの?」
すると彼女は言いました、
「もちろん彼との未来でしょ!」
私は彼女のこのひとことで背中を押され、そして救われました。





こうして決心がつきました。だから、彼にすべてを話してから、私から告白をしたのです。
「一年もごねて、待たせて、本当にごめんね」
彼はすごく喜んでくれたんですよ。

6.家族とは親子とはいったい何ですか

そして大好きだった家族に別れを告げました。両親や兄弟も私の意志は変わらないと見ると、憐みや失望、そして裏切りに遭った怒りをあらわにしました。


母は私の目を見据えるや「あなたとはこれで他人だけど、わたしたちは信仰心を失うことはありませんから」と告げました。そこにはゆるがぬ信仰心、そして私に向けられた憎悪が込められていました。





家族とは、親子とはいったい何ですか。
私の24年間とはいったい何だったのでしょうか。


そして今度は宗教本部の偉い人から事情聴取を受けたのです。本部からの呼び出しは、家族の時以上に憂鬱で不安で、本当にこのまま逃げ出したいほどでした。


しかしさすが偉い人だけあってこの人たちは、私の思いを最後まで聞いてくれました。でも、当然ですが延々と引き留められました。


教団は救いであること、脱会した人間がどれほど悲惨な目に遭うのか、泣き落としもあれば恫喝もありました。でも私の意志は折れることはありませんでした。


そしてついに「追放」が下されたのです。

7.今日から全部取り戻してやる

追放は望んだことですが「別れ」です。本音を言えば胸が締めつけられる思いでした。でもそれ以上の解放感や清々しさがありました。





私は乗ってきた自転車にまたがると、思い切ってペダルを踏みました。24年間は本当に辛かった。でも今日から全部取り戻してやる。全部やる!彼との幸せが今から始まるんだ。


私は力いっぱい自転車を漕ぎました。外は雪、でも寒くなんかありません。時計は深夜2時を回っていました。


それから3年後、ついに彼と結婚することになったのです。でも私には、もう一つの不安がありました。

8.私にも母がいた、いや今でもいる

彼の両親には私の生い立ちをまだ話してはいなかったのです。だから挨拶に行く日は震えるほど緊張しました。たとえ事情があるにせよ「そんな家庭と親戚にはなりたくない」そう言われる気がしてならなかったのです。


でもそんな思いは杞憂でした。
「結納とかするんだったらめんどくさいなと思ってたし、よかったです」
「お父さんとお母さん、元気ならそれだけで何よりだよ」
こんな言葉をかけてもらったんですよ。


やさしくてあったかくて、この両親があって彼がいるんですね。


私はこの時、母の顔を思い浮かべました。私にも母がいた、いや今でもいる!あの時冷たく突き離された私。でも、それは私の幸せを思ってのことかもしれないと。

9.24年の人生にも意味があったんだ

私にとっての家族、それは母でした、母が私の支えだった、だから母に親孝行をしたかった、大好きだった母をうんと喜ばせたかった。





私の24年の人生にも意味があったんだ、この時初めて今までを肯定出来ました。今でも私は母の子です。


そして今、結婚2年目に入りました


変わらず家族とは連絡を取っていません。もちろん母や兄弟のことは気になります。でも、私が選択したのは彼との人生です。今でも悔いはありません。

スポンサーリンク

10.あなたが幸せになる道を

恋愛の壁、私の場合は宗教でした、壁に邪魔され前にすすめないあなたに言いたいこと。それは壁を乗り越えたければ「捨てなければならないもの」もあるということ。





忘れる・手放す・あきらめる、失うことによってはじめて得られる幸せや、開ける明日もあるということです。


覚悟を決めて扉を開けてみる、そこに広がる景色は意外なほど広く、優しく、自由で新しいものだから。だって今までいっぱい泣いてきたのだから。


「思い込み」に振り回されたらダメだよ!「あなたが幸せになる道」を選択すればいいんだから。そしてその選択は絶対に正しいのだから。


そう、失敗してもやり直せばいいだけじゃん、振り向いちゃダメ、大丈夫だから、前を向いてね!



あわせてどうぞ!

スポンサーリンク