目次
【1】その数なんと16万2千軒
1-1.違いがわかりますか
文化庁編「宗教年鑑」平成30年版によると、国内における神社の数(単位宗教法人数)は約8万5千社、そしてお寺の数は約7万7千寺、合計すると約16万2千軒にもなります。よく比較されますが、この数値は全国のコンビニエンスストアの店舗数約5万6千軒(平成31年JFAコンビニエンスストア統計調査月報)を上回るものです。
これを見ても神社やお寺が、いかに私たちの地域や生活に密着していることかがわかります。しかし「神社とお寺の違いとは何ですか?」こう聞かれてみるといかがでしょう、どうもあいまいではありませんか。
1-2.「神様と仏様」や「神道と仏教」の違い
神社とお寺の違い、これは同じ宗教施設でも「教会との違い」ほど明確なイメージもわきません。またどうもこの二つは混同されてしまいます。ただその理由には「神仏習合」といった時代が長く続いていた背景も見逃せません。
また神社とお寺の違いを知ることは「神様と仏様」や「神道と仏教」の違いを知ることでもあり、意外な発見もあるはずです。またその存在がより身近なものになれば、あなたにとって開運の「たしなみ」にもなるのではないでしょうか
【2】神社とお寺の違いはこれ!
では神社とお寺の違いをあげてみましょう。
2-1.神様と仏様!信仰の対象の違い
神道と仏教
まずは「何を拝むのか」ですね、ご存知の通り「神社は神様・お寺は仏様」です。一般的には神様をお祀(まつ)りしているのが神社です。神社とは神様が住まうところであり、神様を信仰するのが神道です。これに対し仏教で伝えられている仏様を崇(あが)めているのがお寺です。お寺とは本来出家をされた僧の居場所として建てられたものであり、僧侶が生活し仏陀(修行を積み正しい悟りを得た人)を敬い教えを学ぶ場所のことです。
仏教はインドの釈迦様を開祖として広がったもの、外来宗教ですね。これに対し神道はここ日本の気候風土の中で自然に成立した民族宗教です。神道には仏教におけるお釈迦様のような開祖に当たる方や発祥の地といったものは見当たりません。
崇拝の対象
仏教においては、もともとは仏舎利(仏陀の遺骨)を祀った塔が崇拝の対象ですが、多くのお寺では仏像が崇拝の対象になっています。またあえて仏にならず、この世に留まって人々を救う観音や地蔵といった菩薩も信仰の対象となります。これに対し森羅万象の神々が祀られている神社においては、時代とともに剣とか鏡などを神霊の宿るものとして崇めることが一般的です。
2-2.神職と僧侶!聖職者の違い
神主とお坊さん
聖職者、いや職業名の違いと言えばいいのでしょうか。神社に従事される方は「神職」と言います、そしてその責任者は「宮司」です。会社に例えるのなら社員(神職)と社長(宮司)のようなものです。
これに対しお寺に従事される方は「僧侶」であり責任者は「住職」です。ちなみに「神主」とか「お坊さん」は職業名ではありません。神職に関わる人たちのことを称して「神主」、同様に僧侶に対する親しみが込められた呼び名が「お坊さん」です。
法衣と袴、色の違い
ちなみに僧侶の場合、その僧階に応じて「法衣の色」が変わります。宗派にもよりますが緋色や紫色を身につけられるのは最上位の僧侶のみです。これに対し神職の場合もその身分に応じて「袴の色」が変わります。最上位である特級となると袴は「白固織有紋」になります。これは「白の袴に白地の紋入り」となったものです。
しかし神主さんとお坊さん、いったい毎日なにをして過ごしているのでしょうか。
その仕事や役割とは・・・
神社における神職とは我々に代わって祭祀をとり行うこと、神様とあなたの仲をとりもつような存在です。たとえば祈祷、あなたの代わりに祝詞(のりと)を読むことなどですね。また祈願書など字を書くことが多い職でもあります。
一方お寺の僧侶についてはどうでしょう。そのお寺や宗派による違いはあるのでしょうが、仏の教えを人々に伝えること、また読経や唱題を行い故人や先祖の平穏、またあなたの無事を祈ることでしょうか。
また墓地の管理もそうですね、ちなみに墓地には
- 寺院墓地
- 民営墓地
- 公営墓地
の3種類がありますが、寺院墓地の管理責任者は住職です。
2-3.鳥居と山門!「境界」の違い
入り口の違いです。神社は鳥居・お寺は山門です。
そしてここが俗世間との境界線、ここから先は神の国・仏の国、本来は信仰心がなければむやみに立ち入りはできません。必ず一礼をしてからお邪魔しましょう。
2-4.狛犬と金剛力士像!守護(護衛)役の違い
魔除けですね、神社は狛犬・お寺は仁王(金剛力士)像です。狛犬とは犬に似た空想上の獣のことです。狛犬も仁王像も、口を開けた阿形(あぎょう)と結んだ吽形(うんぎょう)の二体一対となっています。
しかし狛犬も一体となっていたとは意外ですね。この狛犬は仏教とともに日本にもたらされました、だからお寺に置かれている場合もあるそうです。
「阿吽の呼吸」でおなじみですね、これは双方の考え方や気持ちがまるで同じ呼吸をしているようにピッタリと合っている、といった意味で使われます。口を大きく開いたとき発せられるのが「あ(阿)」、そして閉じた時が「うん(吽)」。これは古代インドのサンスクリット語を語源として、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉なのだそうです。
2-5.屋根に注目!神社には瓦がない理由
本来、神社の屋根には瓦は使われてはいません。これも意外ですね、でも言われてみればなるほどそうです。そもそも屋根瓦とは、大陸から伝わった寺院建築の象徴ともいえるものです。神社が瓦を使わなかった理由はその独自性が重んじられたため、また神様の座する頭の上に、土から出来ている瓦を載せる事は失礼であるから、といった説もあるようです。したがって大きな神社の屋根は檜皮葺き・茅葺き、また板葺き、といった造りになっています。
2-6.手を打つ・打たない!お参りのしかたの違い
鳥居や山門をくぐる時は一礼を、そして手水でお清めをする、そして拝殿・本堂で賽銭をささげます。ここまでは神社もお寺も同じです。そして問題はここから、ただその違いは「手を打つか打たないか」だけです。手を打つのが「二礼二拍手一礼」の神社、神様に気付いてもらうため大きく打ちましょう。
これに対しお寺で手を打つのはNGです!合掌の際には、胸の前で両手をしっかりと合わせます。仏様とあなたが一体となる意味を持ちますが、この時宗派によっては指を互いに組むところもあります。
2-7.紅白が神社・白黒がお寺!意外なことに仏前結婚も
シンボルマークを見れば神社は鳥居・お寺は卍ですね、また紅白と白黒、神社では結婚式・お寺ではお葬式といったイメージも湧きます。ただ明治以降になって僧侶の結婚も認められると、意外なことに仏前結婚も行われているそうです。
いかがでしょう、調べればまだまだ意外な事実や面白い発見もあるはずです。興味がわいたらさらに深く掘り下げてみてください。
【3】神様とはなにか
3-1.自然が神格化されたもの
前述の通り神社とは神様が住まうところであり、神様を信仰するのが神道です。また神道には教祖が存在せず、世界宗教に見られるような経典や教義もありません。ではこの神様とはいったいどんな方を指すのでしょうか。これにはいろいろな解釈があるのですが、古事記や日本書紀によれば私たちの祖先であるともいえます。また「自然が神格化されたもの」、多大な影響力を宿した人やものも神様となっています。
3-2.「八百万の神」
私たちははるか昔より山岳や巨岩巨木、また太陽や月、風や海、動物など自然そのものを畏れ祀ってきたのです。これが森羅万象に神が宿るという「八百万の神」の考えの始まりです。またそれだけではなく商売や学問の神様など、商売繁盛や文化的活動における守護役となっているもの。さらには「英雄」などといった人間を神格化したものも。こう考えるとなんでも神にしてしまうのか、じつに様々な神様が崇拝されています。
【4】「神仏習合」と「神仏分離令」を知る
4-1.神社とお寺が適宜参拝・信仰されている理由
神社とお寺の違いについてあれこれ考えてきたのですが、例えば浅草寺や増上寺など、神社と寺院や仏堂が一緒に建てられている場所も多く存在しています。また私たちも神社とお寺をあまり明確に区分することもなく参拝・信仰しています。こういった習慣は平安時代に生まれた「神仏習合」という思想の名残りであるようです。ここも神社とお寺を考えるうえでポイントとなるものです。
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4-2.神様と仏様を折衷!「神仏習合」とは
仏教が大陸から日本に伝わってきたのは6世紀半ばのこと。ただそれ以前より日本においては「八百万の神」が畏れ敬れてきました。また八百万が表す通り、日本には神様が無数あった中に仏様が伝えられたのです。朝廷においては、この仏教の受け入れについて賛否両論あったようですが、早い段階で信仰されるようになりました。そして神様と仏様を折衷し「神仏」として大事にお祀りしてきたのです。「新しい神さまがひとつ加わった」といった認識でしょうか、簡単に言えばこれが「神仏習合」です。
4-3.神様と仏さまは姿を変えているだけで本質は同じ
神仏習合とは「神様と仏さまは姿を変えているだけで本質は同じ」といった考え方です。「神仏」や「寺社」などといった表現から見てもわかるように、仏教が伝来されてから約1300年にわたり神道と仏教は密接な関係が保たれました。お互いに影響を与え合いながら、文化や習慣が形成されてきたのです。
4-4.「神仏分離令」によって神社とお寺は区分されました
しかし長年続いてきた神仏習合も明治になると「神仏分離令」が出され廃止されてしまいます。この神仏分離令によって現在の神社(神道)とお寺(仏教)が明確に区別されるようになったとも言えます、ただ明治元年の話なので歴史はまだまだ浅いのです。
4-5.神仏分離の理由とは
神仏分離とは繰り返しますが神仏習合の慣習を禁止すること、そして神道と仏教を区別させたことをいいます。この思想は江戸時代後期の復古神道にともない盛んになったものです。また神仏習合の時代とはいっても、
- 経営能力に優れ、政治にも影響力を持った仏教教団は宗教界の指導的な役割を占めていた。
- 神様を仏様の化身とする「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」の普及もあり、神社側(神道)はお寺(仏教)より下位に甘んじることを余儀されてきた。
- 大きな神社の多くには神宮寺(神社に付属して建てられた寺院)が併設されその運営にも僧侶が関与するようになった。
こういった状況に対する神職や国学者の反発や自立、といった側面も指摘されています。このあたりの事情は簡単には説明できませんが、明治政府はこの神仏分離を行うことで神道の国教化を図りました。
4-6.「廃仏毀釈運動」多くの寺院が破壊されました
そして外来の宗教である仏教は国教にはふさわしくない、として一部の国学者の主導のもと、それまで特権を持っていた仏教関係者の財産や土地を剥奪していきました。これをきっかけに「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動」がおこり、多くの寺院が破壊されたのです。さらにそれまで寺請制度に不満が募っていた民衆がこれに加わり、仏像の破壊がさらに進んだのでした。こうなると僧侶は生活に困窮、政府の指導で俗世に戻ったり神職へ転向された方も多かったのだとか。
4-7.神道国教化はとん挫、そして失われた膨大な文化遺産
しかしその5年後、政府は神仏分離令を停止します。神道国教化はとん挫したわけです。国学者が主張する政体の実行など、どだい無理な話であったから。その後仏教は再び尊重され現在に至っています、ただこの分離令によって神道の地位が向上したともいわれています。しかしこの5年間で消滅した文化遺産は膨大なものです。多くの貴重な仏教建築物が被害を受ける結果となったのだから。そして失ったものは二度と戻っては来ないのです。
神社とお寺は未来に向けて今、新しい関係をまさに築こうとしているのです。こういった歴史を知ることも、そんな時代に生きていることを知ることも、神社とお寺を知るうえで貴重なものとなるはずです。
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